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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)10003号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、二〇万円及びこれに対する平成元年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告は、原告に対し、六五二万七〇〇〇円及びこれに対する平成元年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  (運送契約の締結)

1  被告は、物品の運送を業とするものである(争いがない)。

2  原告は、昭和六三年八月一七日、被告の大阪府八尾市内の取扱店である株式会社中西商店(以下「中西商店」という。)において、楽器類を詰めたダンボール箱一個(以下「本件貨物」という。)を、宅配便(いわゆるペリカン便)によつて埼玉県坂戸市《番地略》有限会社マテキフルートへ送付するよう運送を依頼し、被告との間で運送契約(以下「本件契約」という。)を締結した(争いがない)。

3  原告は、フルートクリニックYOUとの商号でフルートの修理・調製等を業とするものであり、本件貨物の楽器類の内訳は、有限会社マテキフルートから預かつた同者所有のフルート本体三本及びフルート頭部管五本(当時の時価合計四五二万七〇〇〇円相当)であつた。

二  (本件貨物の紛失)

被告は、前同日、その大阪自動車支店における大阪市住之江区所在の南港ターミナル施設内で本件貨物についての入荷確認等のためのバーコードによる仕立登録を完了した。ところが、本件貨物が、その後の運送過程のどこかで所在不明となつたため、前記送り先に送付されなかつた(争いがない)。

三  (標準宅配便約款)

本件契約による宅配便運送については、道路運送法一二条三項に基づく標準宅配便約款(昭和六〇年九月一九日付運輸省告示第四〇〇号)が適用される。そして、同約款二五条によれば、運送人は、荷物の滅失による損害について、荷物の価格を送り状に記載された責任限度額の範囲内で賠償する(一項)のを原則とするが、運送人の故意又は重大な過失による滅失の場合には、これにより生じた一切の損害をも賠償する(六項)旨定められている。

四  (本件請求)

原告は、本件貨物の紛失が、被告又は被告の使用人の故意又は重大な過失により生じたものであるから、被告に対し、その債務不履行又は不法行為による損害賠償として、本件貨物の価格相当の四五二万七〇〇〇円及び本件貨物の紛争によりフルートの修理・調製業者としての信用を失墜したことによる精神的損害についての慰謝料二〇〇万円の合計六五二万七〇〇〇円、並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成元年一二月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五  (争点)

1  本件貨物の紛失は、被告又は被告の使用人の故意又は重大な過失により生じたものであるか否か。

2  原告は、本件契約を締結するに際し、荷物の価格を二〇万円と申告したか否か。

3  本件貨物の紛失が運送品の取扱上通常予想される事態に含まれないことが、被告の不法行為責任の前提になるか否か。そして、これが前提にならない場合、被告は、不法行為による損害賠償責任を負うか否か。

第三  争点についての判断

一  (被告又は被告の使用人の故意又は重過失の有無について)

1  まず、原告は、被告の支配下に移つた後の荷物の滅失の原因については、運送人である被告側に立証責任があると主張するので検討する。

通常の運送契約上の責任について、商法は、注意を怠らなかつたことを証明しない限り賠償責任を負うものとして、運送人に立証責任を負わせ、原因不明の場合は通常過失の存在を推認しており(商法五七七条、五八〇条)、本件貨物についての標準宅配便約款においても同旨の定めがなされている(同約款二五条)。しかし、原告の主張は、この範囲を超えて、原因不明の場合に重過失をも推認すべきであるとするものである。

確かに、運送中の貨物は完全に荷送人の支配を離れて専ら運送人の支配下にあるものであり、荷送人が運送過程での紛失原因を明らかにすることは、運送人の場合よりも一層困難であることを考慮すれば、貨物の滅失の原因についての立証責任を運送人に全面的に負わせるとするのにも一応の理由がある。しかしながら、商法の右規定においても重過失の推認をなすべき旨を定めたものではない。

そして、荷送人にとつて、重過失の存在を積極的に立証することは相当の困難を伴うこととなるが、重過失の立証がなされなくても、責任限度額の範囲では損害賠償を受けられ、通常の場合はそれが当該貨物の価格であるから、損害の主要な部分は補填できること、また、高価品についての損害等は、価格の明告、保険制度の利用等により、回避可能であること、さらに、具体的な場合における重過失の立証についても、他の運送業者との比較等により、その管理体制の不備等を具体的に立証することなどにより、立証可能な場合もあり得ると考えられることなども併せて考慮すると、少なくとも運送保険をかけずに低廉な料金(本件貨物では九〇〇円)で運送することが主要な合意事項でもある宅配便システムにおいては、重過失を推認しなければ当事者間の公平を著しく害する特段の事情があるとは認められない。

したがつて、本件貨物の紛失原因についての被告の重過失についても、原告において、その存在を立証すべきものと考えられる。

2  そこで、本件貨物の紛失原因につき検討すると、前記争いのない事実並びに《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 被告の宅配便についての通常の運送方法によれば、本件貨物は、トラック便で、発送日の昭和六三年八月一七日に、南港ターミナルから東京中央ターミナルに向け運送され、同所で、バーコードによる確認を受けた後、埼玉ターミナル、川越狭山営業所を経て、発送日の翌日中には荷受人有限会社マテキフルートに到達することになるものであつた。

(二) ところが、同月二〇日になつても、本件貨物が到達しないため、原告の問い合わせにより、被告が調査したところ、東京中央ターミナルでは、本件貨物の到着確認がなされておらず、また、南港ターミナル内で滞留貨物等を調べても本件貨物を発見することができなかつた。さらに、被告は、被告の全国の配送拠点に本件貨物の外観を絵で表したものを送付して調査を依頼し、かつ、警察署にも盗難届を出して捜査依頼をする等したが、いまだ、本件貨物を発見するに至つていない。

3  右認定の事実によれば、本件貨物の紛失原因が明らかでないので、運送人たる被告又はその使用人の故意によるものと認定することはできないから、次に、被告の重過失の有無につき検討する。

(一) 原告は、紛失の原因としては、被告の従業員による窃取又は手違いによる積み残しもしくは荷下ろしによる以外には考えられず、これらの原因は被告の重過失であり、少なくとも、その運送システムについての管理態勢における不備によるものとして、被告の重過失が推認されるべきである旨主張する。

(二) しかしながら、前記事実関係に加えて、南港ターミナルには被告の従業員以外の者の出入りが困難であるから、第三者による盗難の可能性もほとんど考えられず、また他の場所に送られていた場合には、その貨物が主要ターミナルへ戻されて発見されるのがほとんどであること等の事情が存するところではあるが、このことから直ちに被告の重過失の態様を推認することができないことは明らかである。そして、運送人としての通常要求される程度までの管理を尽くしても、その取扱件数等の事情に照らせば、南港ターミナルないし運送過程での第三者による盗難や他の場所への誤配の可能性を全く除去することはできないものと認められる。さらに、仮に手違いによる積み残し又は荷下ろしが原因であつたとしても、その具体的事情により注意義務違反の程度は様々であつて、手違いによる積み残し又は荷下ろしの事実自体によつて重過失が当然に推認できるものではない。

勿論、運送人において、貨物の紛失が生じた場合にその時期等をできるだけ特定し、発見等を容易にする管理態勢をとるべき一般的注意義務があることは当然であるが、本件貨物が紛失し、その経緯が不明であること自体から、あらゆる事故事例について、当然に被告の管理体制における過失が推認できるものではない。そして、本件貨物の紛失は前記の通り南港ターミナルにおけるチェック以後で東京中央ターミナル到着以前の事故であることまでは被告側の調査により特定されているところ、さらに原因を究明するに足る手段も考え難いので、他に被告の管理態勢の不備についての具体的主張立証のない本件においては、いまだ、被告の管理下における重過失を認定することはできないところである。

二  責任限度額二〇万円の明示の有無

1  右争点について検討するに、まず、証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件契約による荷物についての送り状は、六枚綴りの伝票形式で、一枚目が運賃請求書兼領収書、二枚目が取扱店控、三枚目が勘定整理票、四枚目が発送原票、五枚目が荷札、六枚目が受取書となつてカーボン複写になつている。そして、本件貨物についての送り状の「品名」の欄には「楽器」との記載があり、また、「お荷物の価格」欄には、その一枚目の運賃請求書兼領収書における記載がなく、空欄のままであり、二枚目の取扱店控、四枚目の発送原票には、「二〇」万円との記載がある。

(二) これらの記載について、中西商店経営者の中西義治は、原告からの申込時、店員である山本佳子から二枚目以下の右伝票を見せられて、「これで良いですか」と述べて、記載内容の確認を求められたので、点検したところ、価格の記載がないのに気付いた。そこで、右中西が原告に価格を尋ね、原告から「二〇万円」との答えがなされたので、右山本に金額を記入させた。そして、一枚目の伝票に金額の記載がないのは、その際、右山本が、一枚目を取り戻して記入するのを怠つたことによるものである。

2  これに対し、原告本人は、自ら本件貨物の価格が四五二万七〇〇〇円相当である旨を申告したことはないが、逆に中西商店で価格を尋ねられたこともない旨主張する。

そして、原告は、価格を告げていないことを前提として、取扱店控、発送原票の記載は、訴えが提起されてから、被告会社と中西証人が協議して記入した可能性があると主張する。

3  しかしながら、《証拠略》を総合すれば、紛失後の原告と被告会社との間の交渉の経過として、次の事実が認められる。

(一) 昭和六三年八月二〇日ころ、原告は、前記マテキフルートからの連絡で本件貨物が到着していないことを知り、中西商店及び被告の八尾支店に連絡して調査を依頼した。

(二) そして、同月二二日に、被告八尾支店の営業課長である中谷始らが原告方へ行つて調査の経過報告等をし、さらに、同月二三日には、被告八尾支店長と中谷が原告方へお詫びに行つた。その後、中谷は、調査のため、同月二四日と二七日ころ、東京へ行つて調査結果を確認したが、本件貨物の行方を究明することができなかつた。

(三) 被告は、右調査のため、これに先立ち、原告から本件貨物の内容、大きさ及び外観等を聴取した。

(四) 被告は、同月三一日に住之江警察署に盗難届を出し、警察署から品番等の明細の届出をするように指示され、同年九月一日に被告埼玉支店が品番を確認して届け出た。そして、右盗難届においては、価格につき出荷時の申告によるものとして二〇万円である旨の届出がされている。

(五) その後、同年九月七日頃、被告の八尾支店長と中谷で、原告とその父親に会い、経過報告とともに二〇万円を弁償したい旨申入れたが、原告側からは、本件貨物のフルートは高価なものであるとして拒絶された。なお、証人中谷は、その際、原告が二〇万円の申告をした旨認めたと供述し、原告本人は、これを否定する。

(六) そして、同月八日に、原告から被告に本件貨物の価格が四五二万七〇〇〇円である旨の連絡がなされた。

4  そうすると、原告主張のように、宅配便の申込時に価格を申告しないこと自体は、通常稀なことではないと思料されるものの、右の事実経過から見ると、遅くとも昭和六三年九月一日の時点で、被告は二〇万円との記載を前提に警察に届出をしているから、訴訟提起後に申告を仮装したとの原告の主張は失当である。

さらに、被告が、本件貨物につき時価四五〇万円余りの高価なものであるとの連絡を受けたのは同月八日であるから、同月一日の時点では、原告との交渉過程から本件貨物がフルートであることを認識していたに止まり、かつ、フルートでも安価なものは五万円程度からあり、被告にとつて本件貨物が二〇万円を超える価格であるとは必ずしも言い切れない段階にあつたこと、また、仮に記載がないとしても、紛失につき故意又は重過失のない限り、被告は三〇万円の範囲で弁償すればよいとの立場にあつたのであるから、差額の一〇万円の賠償責任を回避するために虚構の策を弄する必要性があつたとは考え難いところである。

したがつて、前記金額欄について、被告が、本件紛争が生じた以後に記載したものとは認められず、原告の主張は採用できない。

5  次に、原告は価格を申告しなかつたが、その直後に中西商店において記入したという可能性もありうるので検討すると、申込時に申告のない場合、取扱店たる中西商店としては、楽器という以外には当該貨物の価格を全く知りえないのであるから、推測のみで記載するほかないわけであるが、実際の貨物の価格は二〇万円以下である可能性もあること、その記載価格は送り先にも表示されることなどを考慮すれば、かかる行為がなされたと推認するのは極めて不自然である。

6  そして、証人中西の証言については、本件貨物についての各伝票の記載についての筆記用具や筆跡についての客観的事実に符号して、その経過を合理的に理解することができるところ、さらに、中西商店においては宅配便の取扱件数が少ないこと、店員の山本が不慣れであつたため、店主において十分注意する必要があつたこと、店員として、一枚目の請求伝票を原告に交付するのと引き換えに金員を受領したと推認することが違和感のないものであることなどの諸般の事情にも合致するものと評価することができる。

したがつて、原告自身から二〇万円の申告があつたとの証人中西の供述は信用でき、これに反する原告本人の供述は信用できない。

7  以上の検討諸経過によれば、本件契約時に、原告から本件貨物の価格は二〇万円である旨の申告があつたものと認められ、その申告に基づき、本件送り状の二枚目以降に記載された二〇万円が本件契約における責任限度額となる。

そうすると、被告は、原告に対し、本件貨物の紛失についての債務不履行による損害賠償として、本件貨物についての価格のうち、右責任限度額の上限としての二〇万円の支払義務があるものと認められる。

ところで、原告は、慰謝料二〇〇万円の支払をも求めるが、本件契約に適用すべき標準宅配便約款二五条は、慰謝料をも含めて責任限度額内の賠償責任を定めるものと解されるので、右二〇万円を超える限度で、原告の本訴請求はいずれにしても理由がない。

三  (不法行為責任について)

1  被告は、運送品の取扱上通常予想される事態ではなく、契約本来の目的範囲を著しく逸脱する場合にのみ不法行為責任が発生する旨主張するが、不法行為の成立要件を満たす場合に、運送品の取扱上通常予想される事態であることにより、その成立が否定されるべき理由はない。

したがつて、本件貨物の紛失態様の如何が、被告の不法行為責任の何らかの前提になるものではないと解される。

2  しかし、原告において、不法行為責任を主張する以上、原告において、その成立要件である被告の故意又は過失の存在を立証すべきである。そして、本件において、右立証責任を転換しなければ、当事者間の公平が実現できないというような特段の事情は認められない。

3  しかるところ、本件貨物の紛失の原因については、重過失の存否について検討するために認定した前記事実関係が認められるに止まり、これを要するに、その原因が不明のままであることに帰結している。そして、単に紛失の結果が存することのみによつて、過失を推認することはできない。そうすると、本件において、被告又はその従業員に故意又は過失とみるべき具体的な注意義務違反があつたと認めるに足りる主張及び証拠はないといわなければならない。

したがつて、原告の不法行為の主張は採用できない。

(裁判長裁判官 伊東正彦 裁判官 倉田慎也 裁判官 斉木稔久)

《当事者》

原告 濃野雄二

右訴訟代理人弁護士 井上 啓

右訴訟復代理人弁護士 長添 節

被告 日本通運株式会社

右代表者代表取締役 長岡 毅

右訴訟代理人弁護士 高野祐士

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